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AI(歌手)の父親は植村グループの会長!母親は?妹は写心家217(NINA)

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下積み時代は倖田來未さんとクラブを一緒に回って歌っていたというAIさん。バラードを得意としていますが、LA時代に磨いたラップの技術も高いそうです。

出典:https://www.cinematoday.jp

名前:AI
生年月日:1981年11月2日
出身地:鹿児島県鹿児島市
職業:歌手、ソングライター

AIさんはアメリカのロサンゼルスで生まれました。本名は植村愛カリーナ(うえむら あい かりーな)といいクォーターです。ちなみにミドルネームのカリーナは「愛らしい、可愛い」という意味があります。

12歳のときにロサンゼルスの教会に立ち寄った際に、ゴスペルに出会って感動し歌手になることを決意。中学を卒業後、ロサンゼルスの名門パフォーミング・アーツ・スクール(LACSA)にダンス・クラス専攻で入学しました。

当初スクールでは差別をうけ大変でしたが、持ち前の人当たりの良さと歌唱力を高く評価され、東洋人として初めてゴスペルクワイア(聖歌隊)のメンバーに選ばれました。

そして1999年には全米から1000人近くのダンサーを集めて行われたオーディションで見事勝ち残り、ジャネット・ジャクソンのミュージック・ビデオ「Go Deep(ゴー・ディープ)」に出演しました。

この年、アジア系ガール・グループ“SX4”を結成しアメリカでのデビューをすすめていましたが、日本のBMG Japanからもオファーをもらっていたため日本でのデビューを選択しました。

AIさんの代表曲でもある『Story』のサビの部分の歌詞は、マイケル・ジャクソンの曲から影響をうけたといいます。

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AIの母親は有名人

出典:https://kagoshima.keizai.biz

AIさんの母親はバーバラ植村さんです。講演会講師、作家、イラストレーター、ボランティア団体主宰者など多くの活動をおこなっていて、鹿児島では歩いていればサインを求めらるほどの有名人です。

日本人の父とイタリア人の母とのあいだに生まれ、5歳から15歳まではロサンゼルスにある「スキッド・ロウ」と呼ばれる地域で育ちました。

「スキッド・ロウ」は路上生活者や薬物中毒者が多く、貧困層やマフィアによる殺人・強盗・強姦・薬物売買などの犯罪多発地区です。

日本人とイタリア人のハーフということもあり、バーバラさんは多くの差別をうけたといいます。

この頃はまだ第二次世界大戦の記憶が多くの人に残っていました。友達のなかには日本との戦争で父親が脚をなくしたり、親戚の人を亡くしたりと、みんな日本人を嫌っていました。

誰も挨拶をしてくれない、友達はみんなバーバラさんのことを避け、好きな男の子からも無視され悲しい思いをしたといいます。

そんな悲しい学生時代を過ごしてきたバーバラさんですが、不動産取引の会社で働いていた31歳のときいまの旦那さんと出会いました。

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AIの父親は植村グループの会長

出典:https://fantasy-apple.com/ai-singer-father

AIさんの父親は植村久さんとおっしゃて、建設業を中心に九州全域で事業を展開する植村グループの会長さんです。ゴルフ場、パチンコ店、ホテルブライダルなども運営し、年商数百億とも言われています。

自宅は鹿児島市内にあるマンションの最上階で、リビングの広さも20畳と結構な広さのお宅にお住まいです。

そんな父親の植村久さんですが、ロサンゼルスで現地法人を立ち上げる際に奥さんと出会ったそうです。奥さんが不動産取引の会社でバリバリのキャリアウーマンだったときです。

久さんはバーバラさんを日本に招待すると、バーバラさんが来日した日の夜にプロポーズ。翌日には鹿児島にいる両親に会わせました。そして、プロポーズから2か月後に早くも結婚式を挙げました。

窓ぎわ
窓ぎわ

さすが仕事がはやい

出典:https://otokake.com/matome/SW6xD0

新婚生活はロサンゼルスで始まり、そしてAIさんが生れました。AIさんが2歳になったころ、父の会社のゴルフ場建設を手伝うために日本に戻り、これがきっかけで御曹司だった久さんは、社員3000人の会社の経営を引き継ぐことになりました。

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AIの妹は写心家217(NINA)

出典:https://www.oricon.co.jp

AIさんの妹は植村幸ニーナ(うえむら さち にーな)さんといいます。1984年2月2日生まれで、ちょうど家族が日本に帰国した3か月後に鹿児島で生まれました。

幼い頃から芸術に興味があり、15歳のとき渡米しロサンゼルスにある芸術のための高校「LACHSA(ラクサ)」に入学。美術科を専攻しました。

在学中は絵を描いていたニーナさん。異国の地になかなか馴染めず孤独だったといいます。そんなある日、たまたま立ち寄った本屋で一冊の本に出会いました。

世界中の子供たちが撮られたポートレートで、それを見たら、

「自分はなんて小さい人間なんだろう、こんなに広い世界を見たら自分の悩みなんてちっぽけなものだ!」と思いなぜか涙が止まらなくなり、そして笑顔と心を取り戻す。

その時に「人間の心を動かせるモノ=写真」と自分の中でインスピレーションを感じた

このことがきっかけで、写真に興味を持ち一眼レフカメラを購入しカメラをはじめました。

帰国後は神奈川県の高校を卒業、東京で3年間、音楽関係や芸能関係の仕事をしていましたが、やはりフォトグラファーになりたいと再び渡米。

そして、2006年にミドルネームのニーナから『217』と数字に置き換えて自身のブランドを立ち上げました。

出典:https://kerorin1010.com/2020/01/20/nina/

GUとのコラボTシャツほか、AI、加藤ミリヤ、青山テルマなどアーティストのカバー写真なども手掛け、アメリカと日本を拠点にジャンルにとらわれない独自のアート作品を撮っています。

また、私生活ではモデル兼ジュエリーデザイナーのISAOさんと結婚しています。

ちなみに217(NINA)さんが写心家とうたっているのは

「心に響く、心を写す写真を撮りたい」

との想いからです。

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まとめ

  • 母親はバーバラ植村さんで、鹿児島では有名人

     

  • 父親は年商数百億の植村グループの会長

     

  • 妹は写心家の217(NINA)

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