あの宇梶剛士さんが所属していたブラックエンペラーとは敵対関係にあった暴走族に所属していた中野英雄さん。そんなイケイケな中野さんですら、渡瀬恒彦さんは怖かったと語っています。
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出身地:京都府京都市
生年月日:1964年12月22日
身長:170cm
趣味: バイク・自転車・ウォーキング
所属事務所:ギャッツビーエンタテインメント
中野英雄の妻は中野多加美で経営者
中野英雄さんの奥さんである中野多加美さんは芸能事務所『バグジーヒーローズクラブ』の代表をつとめています。
この『バグジーヒーローズクラブ』は中野英雄さんが1996年に設立しましたが、現在は多加美さんが経営しています。大きな事務所ではありませんが、女性10名ほどタレントが在籍しています。
中野さんも所属していたこともありますが、現在はギャッツビーエンタテインメントに所属しています。
中野英雄の妻はどんな人?
多加美さんは一般のかたなので、顔写真などはは公表されていません。
しかし中野さんが中学生のころから憧れていた先輩が多加美さんと噂されています。
と中野さんが話していることから、古くから付き合いがあって、そもそもお互い気があったのではと思われます。
中野英雄と松田純の不倫騒動
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出身地:東京都
生年月日:1977年6月7日
ジャンル:グラビアアイドル、タレント
所属事務所:STPlanning
中学校の憧れの先輩と結婚し、順風満帆だったかに思われた結婚生活でしたが、2001年に中野さんの不倫騒動が持ち上がりました。
中野さんが既婚者だったこともあり、松田純さんは事務所から一発解雇を言いわたされてしまい、芸能界から遠ざかってしまいました。
中野さんのほうも離婚の危機をむかえましたが、子供の存在がこれを救ったといいます。
中野英雄は哀川翔と出会い一世風靡へ
京都で生まれた中野さんは幼い頃に東京に引っ越してきました。当時父親はプロボクサーで家には帰らず愛人宅で暮らしていました。ある日中野さんが家に帰ると、家財道具と一緒に母親と妹の姿がなかったといいます。
小学生のころに両親が離婚。学生時代は柔道やハンドボールにうちこむも、中学ぐらいから次第に素行が悪くなり不良の道へ。あの有名な暴走族「スペクター」に所属し、ケンカに明け暮れる毎日を過ごしていました。
16歳のある日のこと、新宿でスペクターのメンバー十数人とたむろしていた中野さんの前をたまたま哀川翔さんが通りかかりました。
そして、はじめて会った哀川のリーゼントヘアを
とからかったことで口論となり、頭突きをお見舞いされ、鼻血を出して哀川に一発KOされてしまいました。
このケンカがきっかけでお互い顔見知りになり、翔さんが3つ年上ということもあって弟分としてかわいがられるようになりました。
はい。もう悔しくてね。だんだん顔見知りになっていったんです。
翔さんも面倒見のいい男で、東中野のボロアパートに、僕らを呼んでサンマを焼いたりしてくれました。年も3歳上だったので、かわいい弟分だったのでしょう。
と中野さんは当時を振り返っています。
そして一世風靡へ
その後はトラック運転手をして生活をしていましたが、哀川さんから
と誘われ「劇男一世風靡」に加入することになりました。劇男一世風靡は男性路上パフォーマンス集団。その劇男一世風靡からの選抜で一世風靡SEPIAがありました。
しかし、待っていたのは長い下積み生活でした。柳葉敏郎さんの運転手兼マネージャーから一世風靡セピアの付き人まで。一世風靡は上下関係に厳しく、ときには
と無茶な要求をされることもありました。パシリにされるのが相当屈辱的だったのでしょう、このとき知り合ったという俳優の小沢仁志さんには
「あいつらいつか殺してやる」
と話していたそうです。
中野英雄はチョロ役でブレイク
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なんといっても中野さんのブレイクのきっかけとなったのは、1992年に放送されたドラマ『愛という名のもとに』でしょう。平均視聴率約25%、最終回32.6%と高視聴率を記録しました。
この作品で中野さんは、証券会社で勤務するサラリーマン役で出演。上司からヒドイいじめにあい、フィリピン人ホステスに入れあげ、挙句の果てに自殺してしまうチョロ役を演じました。
当時はトレンディードラマが流行っていて、『東京ラブストーリー』で大ブレイクした鈴木保奈美さんを筆頭に、唐沢寿明さん、江口洋介さんなどそうそうたるメンバーがこのドラマに集結。さらにはインパクトのあるストーリーということもあり、話題となりました。
しかし、ドラマのヒットとは裏腹に中野さんは役名である「チョロ」と呼ばれることに抵抗があったそうです。
ドラマを見たファンから「チョロだ」と言われると、「チョロじゃねえんだよ」と言い返すこともあったそうです。
「愛と言う名のもとに」で共演した竜雷太に「『ゴリさん』って言われるのはイヤじゃないですか?」と聞いたところ、返ってきた答えは「1つの役をそうやって言われるのっていいことなんじゃないの?そう思うしかないだろ」。
続けて「寅さんなんかどうすんの」と論破された経験を明かしています。
説得力のある言葉ですね
最近ではVシネマなどコワモテな役柄が多い中野さん。若い頃とは違いちょうどいい具合にギラギラ感がぬけ、ますます魅力に磨きがかかってきています。
「僕はいわば“下から出てきた人間”。もともと『劇男一世風靡』に入り、柳葉敏郎さんの付き人から始まって、脇役中の脇役なども経験してきました。
その中で、主役の人の発言は聞くのに、下っ端の話には耳を貸さない監督もたくさん見てきた(笑)。でも僕は、間違っていないと思った意見は相手が誰であろうと、ちゃんと言います。いい作品づくりのためであれば。
そして僕自身も、若い子の話をきちんと聞ける人間でありたい。でなければ、俳優をやっている意味もないと思うんです。このやり方で干されたらそれまでだし、それくらい腹をくくっていないと、芸能界では戦えないですから」
中野英雄はアパレルブランドをプロデュース
現在は「ネオVシネ四天王」なんて呼ばれている中野さんですが、チョロ役でブレイクした後は仕事が忙しくなり、急にお金が入ってきてテングになっていったそうです。しかし、そんな日も長くは続かず30代半ばを過ぎてからは役者としての仕事は暇になっていきました。
役者の仕事も暇になり、飲食店や古着屋の経営もしていたようですが、自分が現場にいられないことや人任せになってしまうことがダメだと思い、すぐにやめてしまいました。
そんなこともあり、今ではネット限定のアパレルショップをオープンしています。
中野さんが服やキャップのデザインを考案したりモデルをしたりと。それこそはじめは家族や周りから反対されることもあったそうです。しかし、今では少しずつ注目されるようになりました。きっかけは
品川さん粋ですね
と語っています。
まとめ
- 嫁は芸能事務所『バグジーヒーローズクラブ』の代表
- 嫁は中学生のころから憧れていた先輩
- 哀川翔とケンカをして一世風靡へはいった
- 役名のチョロと呼ばれることは昔は嫌だった
- アパレルブランド「THE MOBSTAR JAPAN」をプロデュース