「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」がデビューのきっかけだった的場浩司さん。不良集団から草野球チームを結成する企画に参加。チーム名は「爆苦連亡世」(ばっくれんなよ)!?同番組はX JAPANや岡田准一などが出演していたことでも有名です。
的場浩司の若い頃の画像は?
子供の頃は外で遊ぶことが好きで、クラス同士でのケンカに参加するなどヤンチャだったそうです。しかし意外なことに泣き虫だった一面も。
小学校から塾や習字、柔道などを習っていて、なかでも柔道は二段という腕前の持ち主です。
中学のときはレース鳩を30羽も飼っていて、愛読書は「愛鳩の友」。鳩を30羽も飼える家なんてそうそうない。それもそのはず、実家は運送屋さんを営んでいて結構裕福なのではなんていわれています。
鳩を飼っていて一見地味な印象ですが、中1のときに同級生に告白され付き合うことに。そして早くもこのときファーストキスを済ませています。
中学のときに不良デビューをはたした的場さん。弱いものイジメはせず、シンナーを吸っているような悪い奴とケンカをしていたそうで、タイマンのケンカではほとんど負けたことがないと語っています。
柔道経験がある的場さんだからできる技。
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昔は自分のやりたいことがなく、18歳ぐらいから自分の将来について真剣に考えるように。そのため当時はいろんな仕事にチャレンジしたそうです。
この見た目とは裏腹に花屋さんでも働いていたことがあり、花の配送をしたり自分でブーケを作ったりとその働きぶりはいたって真面目
と語っていて、どんな仕事でも楽しかったし、やりがいはあったそうです。
しかし、なにかが違う
とたどり着いた結果が俳優という仕事でした。
元気が出るテレビで人気に!
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デビューのきっかけは、ヤンキー雑誌『ヤングオート』にのっていたところを、バラエティー番組『天才たけしの元気が出るテレビ』の演出をしていたテリー伊藤さんの目にとまったことでした。
同番組で不良少年たちを野球で更生させるという企画に出演。チーム名は『爆苦連亡世』(ばっくれんなよ)といかにもそれらしいネーミング。
リーゼントに鋭い目つきながらも、ちょっかいを出されたときに見せる笑顔が視聴者の心をつかみ、一躍人気ものになりました。
デビュー当時はウジ虫と呼ばれ
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1988年に映画『首都高速トライアル』でデビューすると、1989年にはテレビドラマ『ママ・ハハブギ』や『はいすくーる落書』で全国に名前を知られることになりました。
すんなり人気俳優の仲間入りをはたしたかに思えた的場さんですが、新人時代、現場スタッフからの扱いはひどいもので
なんて呼ばれることをあったそう。俳優をやるまえだったら、とっくに手を出していそうな状況でも、
と好きな仕事だからこそグッと我慢できたといいます。そして
と心に誓っていました。
その後、呼び捨てにしていたスタッフから、「的場さん」とちゃんと呼んでもらえる機会があって、そのときはものすごく感謝したそうです。
新人時代にそういったヒドイ仕打ちがあったからこそ、「いつか見返してやるからな」という気持ちが芽生え、一所懸命がむしゃらに突き進むことができたのだといいます。そして、このときそのスタッフに
とお願いしたそうです。的場さん本人からしたら現在も「なにくそ!」という気持ちをもって、仕事に取り組みたいとの思いからでしょうが、言われたスタッフはヒヤヒヤもんです。
まとめ
- 柔道二段の不良だったが、弱いものイジメはしない
- レース鳩を30羽飼っていた
- ファーストキスは中1
- テリー伊藤が目をつけ「元気が出るテレビ」に出演
- 虫は嫌いだが「うじ虫」と呼ばれていた